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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)2263号 判決

原告

小沢力

ほか二名

被告

渡部次郎

ほか二名

主文

1  被告渡部次郎、同渡部真行は、各自、原告小沢力に対し、一八一六万八三四三円及びこれに対する昭和五七年三月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告小沢力のその余の請求及び原告小沢偉邦、同小沢二三子の各請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、原告小沢力と被告渡部次郎、同渡部真行との間に生じた分はこれを一〇分し、その三を同被告らのその余を同原告の、原告小沢力と被告吉原延夫との間に生じた分は同原告の、原告小沢偉邦及び同小沢二三子と被告らとの間に生じた分は同原告らの各負担とする。

4  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告らは、各自、原告小沢力(以下「原告力」という。)に対し七九〇〇万円、同小沢偉邦(以下「原告偉邦」という。)及び同小沢二三子(以下「原告二三子」という。)に対し各一五〇万円並びに右各金員に対する昭和五七年三月二二日から各支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  事故の発生

原告力は、昭和五五年七月二二日午後五時一五分ころ、東京都荒川区町屋一丁目三八番一六号先道路(以下「本件道路」という。)上を訴外伊沢則招(以下「伊沢」という。)運転の自動二輪車(足立む三九―九四、以下「被害車」という。)の後部座席に同乗して走行中、折から進行方向右側の道路に接する駐車場(以下「本件駐車場」という。)から本件道路に出て右折進行(以下「本件右折進行」ということがある。)しようとした被告渡部次郎(以下「被告次郎」という。)運転の普通乗用自動車(足立三三せ七〇九二、以下「加害車」という。)との衝突事故により傷害を負つた(以下「本件事故」という。)。

2  被告らの責任原因

(一) 被告次郎は、本件右折進行に際し、走行中の被害車の安全に対する注意を欠いた過失により本件事故を発生させたものであるから民法七〇九条により、同真行は加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、いずれも原告らが本件事故により被つた損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告吉原延夫(以下「被告吉原」という。)は、被害車の所有者であり、自己のためこれを運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

3  原告力の傷害の内容・程度と治療の経過

原告力は、本件事故により開放性頭蓋骨骨折、汎脳腫脹の傷害を負い、次のとおり治療を受けた。

(一) 昭和五五年七月二二日から同年八月一四日まで二四日間日本医科大学附属病院救命救急センターに入院し、開頭手術施行、以後人口呼吸器を設置し、バルビツレート療法により集中治療を受けたが意識の改善なし。

(二) そこで、昭和五五年八月一四日から同年一一月一四日まで九二日間佼成病院に入院し、頭部外傷、外傷後半身麻痺、脳挫傷、失語症、外傷性脳動脈瘤、内頸動脈狭窄症などのため手術を受け、機能訓練のため転院する。

(三) 昭和五五年一一月一四日から同五六年三月二七日まで一三四日間武蔵野療園に入院し、言語療法、作業療法、理学療法などの機能回復訓練を受ける。

(四) 昭和五六年四月七日から同年六月一四日までの七〇日間再び佼成病院に入院し、外傷性脳動脈瘤術後骨欠損に対し頭蓋骨形成術を受け、右下肢の麻痺に対し装具着用のためアキレス腱延長術施行機能訓練を受ける。

(五) その後現在まで荒川福祉障害センターで機能訓練を続けている。

以上の治療を受けた結果、原告力は、昭和五六年六月一四日に症状固定の診断を受けたが、頭蓋骨欠損、脳挫傷、失語症、右半身麻痺、知能低下、外傷性脳動脈瘤、外傷性内頸動脈狭窄等の後遺障害が残つた。(右後遺障害の程度について自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)は自賠法施行令二条別表の後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という。)五級二号該当の認定をしているが、現実には症状はこれをはるかに上回り二級三号に該当するとみるべきである。)

4  損害

(一) 原告力の損害 一億〇五一二万〇八二六円

(1) 積極損害 五六五万八九〇〇円

ア 治療費 三一一万一三六〇円

イ 付添費 一六四万円

本件事故日である昭和五五年七月二二日から症状固定の昭和五六年六月一四日までの三二八日間につき一日五〇〇〇円の割合

ウ 入院雑費 三一万七〇〇〇円

入院期間三一七日間で一日一〇〇〇円

エ 通信費 三八万三八四〇円

オ 医師・看護婦謝礼 五万円

カ 装身具代 一五万六七〇〇円

(2) 慰藉料 一九七六万円

ア 入通院慰藉料 二〇〇万円

イ 後遺障慰藉料 一七七六万円

(3) 逸失利益 五五六八万九二一六円

昭和五四年賃金センサス男子全年齢平均年収三三七万九二〇〇円、就労可能期間一八歳から六七歳までの四九年間、労働能力喪失率一〇〇パーセント、中間利息控除につきライプニツツ方式(同係数一六・四八〇)により原告力の逸失利益を算定すれば、次式のとおり五五六八万九二一六円となる。

337万9200円×1×16.480=5568万9216円

(4) 付添看護料 二〇一六万七七一〇円

原告力は、前記の後遺障害のため、独力では日常生活諸事にわたりこれを処理することが適わず、例えば、空腹時に金を渡しパンを買つて食べろといえば自分で買つてきて食べるが、金銭を所持しているだけでは食物を買つて食べるということには気がつかないなど、ささいな判断能力にも欠け、同原告が生活していくためには常時介添が必要である。右に要する費用は、一日三千円の割合で、症状固定時以降平均余命である六七歳まで五二年間につき、ライプニツツ係数一八・四一八を乗じて算定すると二〇一六万七七一〇円となる。

(5) 弁護士費用 三八四万五〇〇〇円

原告らは本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任し、相当の報酬の支払を約束したところ、右費用相当損害額は、(1)ないし(4)の損害合計額一億〇一二七万五八二六円から後記損害填補額を控除した七五〇〇万円(一〇〇万円未満切捨て)に対する弁護士報酬規定による標準額。

(6) 損害の填補 二五八二万七一二〇円

原告力の(1)ないし(5)の損害総額は一億〇五一二万〇八二六円になるところ、同原告は、自賠責保険から二五八二万七一二〇円(自賠責保険支給総額は二五九八万円であるが、内一五万二八八〇円は原告偉邦の休業損害として支給された)の支払を受け、これを右損害に充当したので残損害額は七九二九万三七〇六円となる。

(7) よつて、原告力は、本訴において前記損害の内七九〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の後である昭和五七年三月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を被告ら各自に対し請求する。

(二) 原告偉邦、同二三子の損害

原告偉邦、同二三子は、同力の父母であり、本件事故により次のとおり損害を被つた。

(1) 慰藉料 各二〇〇万円

原告力は前記のような傷害を受け、事故後一か月半の間は医師から「何時どのような状態になるかもわからないから、必ず両親が付添つていてくれ」と、言い渡されるような症状を続けていた。原告偉邦、同二三子は、同力が果たして生命を持続できるか否かとの不安と闘いながらこれを看病したのである。さらに、今後も身体ばかりは両親を追い越していながら、さながら幼児のような状態(幼児ならば成長の楽しみがあるが原告力の場合には改善の望みはない。)の我が子を一生見守つていかなければならない。

父母として、我が子の右のような状態は、自らの生命、身体への侵害に勝るとも劣らない苦痛である。

加えて、本件事故当時原告力の兄訴外小沢義昭は大学二年生に在学中であつたが、弟の事故による費用負担と、病院と家どの連絡の必要などのため、中途退学を余儀なくされた。両親として苦悩する長男を見ながらどうしてやることもできなかつた苦痛も大きかつた。

原告偉邦、同二三子の苦痛は少なくとも各自二〇〇万円以上の慰藉料をもつて償われるべきである。

(2) 休業損害等

ア 原告偉邦は、同力の付添のため一五万二八八〇円の休業損害を被つたが、前記のとおり、自賠責保険の支払により填補された。

イ 原告二三子は、本件事故当時、照明器具を扱う有限会社ヨシタケに勤務して経理事務に従事し、月給手取り一二万円を得ていた。しかるに、本件事故のため退職を余儀なくされ将来にわたり相当多額の損害を被つたが、右損害は、実質的に原告力の付添看護費(過去と将来分)として請求しているので、別途損害としては請求しない。したがつて、付添看護費の算定に当たつては、この間の事情がしんしやくされるべきである。

(3) 弁護士費用 各二三万五〇〇〇円

前記(1)の二〇〇万円に対する弁護士報酬規定による標準額

(4) よつて、原告偉邦及び同二三子の損害額は各二二三万五〇〇〇円となるところ、同原告らは、本訴において各自内一五〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の後である昭和五七年三月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を被告ら各自に対し請求する。

二  被告らの認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。ただし、被害車は走行状態で加害車と衝突したものではない。

2  同2(責任原因)について

(被告次郎及び同真行)

(一)のうち、被告次郎の過失は否認し、同真行が加害車の運行供用者であることは認めるが、自賠法三条の責任は後記のとおり否認する。

(被告吉原)

(二)の被告吉原が運行供用者であるとの主張は否認する。後記のとおり、本件事故当時、同被告は運行供用者の地位を離脱していたものである。

3  同3(原告力の傷害の内容・程度と治療の経過)の事実は不知ないし争う。殊に、後遺障害の程度は、原告力が電車を利用して独力で高校に通つていたこと、日常生活もかなりこなせ、仕事にも就いていたことなどから、自賠責保険認定の後遺障害等級五級二号程度であり、原告ら主張の同二級三号に至らないのはもちろん、鑑定人松田ひろしの鑑定結果による同三級三号も実態と甚だしく乖離するものである。

4  同4(損害)の事実は、原告らが自賠責保険金合計二五九八万円の支払を受けたことは認めるが、その余は不知ないし争う。

三  被告らの主張

(被告次郎及び同真行)

1 免責

被告次郎は、本件右折進行に際しては、被害車の進行して来た本件道路左方の安全を確認し、徐行しながら加害車を運転しており、かかる場合に自動車運転者に要求される注意義務に何ら違反していない。しかるに、被害車の運転者伊沢は、中学三年生で公安委員会の運転免許を有せず、運転技術もおぼつかないのに、時速三〇キロメートルの速度指定がある本件道路(直線で見通しは良い)を時速五〇キロメートルの高速度で走行し、進路前方約四〇メートルの地点に至つて加害車の前記走行を認め、狼狽の余り制動操作、ハンドル操作等を誤り、被害車を横倒し様にしながら、右折を了して進行にかかつていた加害車の後部に接触させ、次いでガードパイプに衝突させたというものである。

右のとおり、本件事故は専ら伊沢の一方的過失により発生したものであり、被告次郎には何らの過失もなく、また、加害車には構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたのであるから、被告真行は、自賠法三条但書により免責されるべきである。

2 過失相殺

仮に、被告次郎に過失があり、同真行も運行供用者責任を負うとしても、右1で指摘したとおり、伊沢の過失は極めて大なるものであるところ、原告力は、伊沢の無免許を知りながら、被害車の後部に同乗し、かつ、同人の無謀な運転を制止することもしなかつたのであり、また、原告偉邦、同二三子は平素から親権者として原告力に対し十分な監督を行なつていなかつたため、同原告が本件のごとき無謀な行動に出たものというべきである。

したがつて、原告らの損害額の算定に当たつては、信義則、公平の原則、過失相殺の類推適用などにより、右の事情を十分しんしやくし、損害額を減額すべきである。

(被告吉原)

被告吉原は、本件事故当時、加害車につき運行供用者の地位を離脱していたものである。

1 同被告は、昭和五二年一一月ころ加害車を購入して所有し、管理・使用していたが、本件事故以前の昭和五四年七月ころ、弟である訴外吉原正幸(以下「正幸」という。)に譲渡して引き渡し、以後、同人がこれを管理し、使用していたものである。ちなみに、右以降、被告吉原は一度だけ被害車を使用したが、その際も正幸の承諾を得て鍵を借り、運転したものである。

なお、被害車の自動車検査証名義(以下「車検名義」という。)は被告吉原名義のまま残つていたが、自賠責保険の契約者名義は正幸に変更しており、右の管理、使用の実体関係と合わせて明らかなとおり、右車検名義は全く型式上の名義残りにすぎず、運行供用者性の判断の上では格別の意味は有し得ないものというべきである。

2 また、正幸は、昭和五五年六月中旬ころ、被害車を友人の訴外中江昌也(以下「中江」という。)に一日の約束で貸与したところ、同人は無断でこれを訴外渡辺敬司(以下「渡辺」という。)に預け、同人は更に訴外松永秀昭(以下「松永」という。)に預け、最後に、同人が本件事故当日伊沢の要望により同人に貸与し、本件事故発生に至つたものである。

正幸は、右のうち中江以外とは一片の面識もないし、中江以降の右車両の移転については全く関知していない。中江に貸与してから本件事故発生日までに約一か月も経過しているが、この間正幸は中江に対し被害車の返還を求めたものの車両の行方は知れないという有様であり、警察に盗難届けを出さざるを得ない状況になつていた矢先の事故が本件事故であつたのであり、正幸にしても、被害車につき完全に管理、支配権を喪失していたというべきである。

3 伊沢の運行目的は、原告力を同乗させて本件事故現場付近をドライブするという右両名のみに帰属するものであり、本件事故時の被害車の運行については、被告吉原には何ら運行利益がない。

4 以上のとおり、被告吉原は、いかなる観点からしても本件事故当時被害車につき運行供用者の地位にはなかつたことが明らかである。

四  原告らの被告次郎・真行の主張に対する認否、反論

1  免責の主張について

右被告らの主張する本件事故の原因、態様は、右被告らの供述のみから描き出されたものであり、信用できない。なお、伊沢の供述(乙五号証)も右主張の参考とされたいるようであるが、右は事故発生から半年も後に聴取されたものであり、重傷を負い長期間の入院生活を送つていた中学三年生の子供がその後に至つて事故の模様を正しく詳述できるとするのは不自然であり、右供述の真ぴよう性も疑問である。

すると、右被告らの免責の主張は、前提となる事実関係が異なることになるのであるから、到底維持し得るものではない。

2  過失相殺の主張について

争う。仮に、伊沢に運転上の過失があつたとしても、その故に同乗者にすぎない原告力が過失相殺の適用を受ける理由はない。

五  原告ら及び被告次郎・真行の被告吉原の主張に対する認否、反論

被告吉原が運行共用者性を離脱していたとの主張は理由がない。すなわち、被害車の車検名義、任意保険の契約者名義は同被告名義であり、譲渡というも正幸から金銭等対価の出捐はなく、また、その後も同被告は被害車を遊び、通勤に使用していたのであるから、正幸への譲渡の事実はなく、いわゆるフアミリーカーとして家族全員の使用に供されていたとみるべきである。仮にそうでないとしても、同被告と正幸との共同保有の関係にあつたものとみるのが使用実態に沿うものというべきである。

また、被害車は、右のごとき支配関係に立つ正幸から、中江、渡辺、松永、伊沢と順次貸与されているものであるところ、右当時者間には友人、仲間(暴走族関係)という極めて強い人的関係があり、いずれの貸与も一時使用、一時的保管等の特定の目的があり、使用後は返還の約束があり、その期間も短期であつた。そうであれば、被告吉原は、なお被害車の運行につき支配を及ぼし得る立場にあり、運行を支配、制禦すべき責務を有していた者であるというべきである。なお、運行利益については、今日これを抽象化してとらえ、その利益を有するとは現実的、具体的利益の享受を意味しないと解するのが一般であり、前記のような貸与関係は、使用目的の下では、なお被告吉原は運行利益を有するものと解すべきである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  本件事故発生の事実は、請求原因1の限度において当事者間に争いがない。

二  被告らは、本件事故の損害賠償責任を争うので順次判断する。

1  被告次郎の責任

前記争いのない事実に、いずれも成立に争いのない乙一、三ないし六、九号証並びに被告渡部次郎の本人尋問の結果によれば、

(一)  本件道路は、東京都下水道局三河島処理場から尾竹橋方面に通じる歩車道の区別のない幅員七・五メートルの道路である。道路の左右端には一メートル程の路側帯が設けられ、一部にガードパイプが設置されている。道路の規制条件として、追い越しのためのはみ出し禁止を表示する黄色ペイントの中央線が引かれ、最高速度が時速三〇キロメートルに指定されている。道路は直線で見通しは良好であるが、本件駐車場出口(間口約六メートル強をもつて本件道路に接する。)の北側(駐車場からみて左側)角部分には本件道路に沿つて幅七メートル強の倉庫様建物があり、尾竹橋方面から進行する車両(被害車はこれに該当する。)にとつては、直近になればともかく、そうでない限り、本件駐車場から出てくる車両の視認はその一部が本件道路に進入してこないと困難である。したがつて、本件駐車場から本件道路に進入する車両(加害車はこれに該当する。)にとつても、運転席部分まで本件道路に出ない限り、左方すなわち尾竹橋方面から進行してくる車両の有無を十分確認することはできない。また、駐車場南側もブロツク塀があり、同様に駐車場からの見通しは悪い。なお、本件事故発生時刻は七月の午後五時過ぎであるから、明かるさに問題はない。

(二)  被告次郎は、加害車を運転して本件駐車場から本件道路に進入するに際し、加害車の先端部が本件道路端にかかる当たりで一たん停車し、右方(下水道処理場方向)の安全を確認し、左方(尾竹橋方向)については、同乗者である訴外塚原(以下「塚原」という。)の「左オーライ」の声で同方向からの走行車両はないものと軽信し、自らは確認しないまま、時速約一〇キロメートルくらいで本件右折にかかつた。そして、右折が完了する直前ころ、自車の左側後部に軽い衝撃を感じ、後方を振り向いてはじめて本件事故の発生に気付いた。なお、塚原は、助手席の後部座席に同乗しており、左方路の安全確認は運転席以上に困難であり、同人の左方の安全確認も不十分なものであつた。

(三)  伊沢は、本件事故当時中学三年生で満一五歳の少年であつたところ、当然無免許であつた上、そのころまでに自動二輪車の運転経験はわずか三度程度で、その運転技量は見よう見まねで何とか運転操作ができるという程度と評価すべきであつたにもかかわらず、偶々遊び仲間の先輩である松永(当時一六歳)が預り保管中の被害車(排気量四〇〇cc)に興味を抱き、無理に同人からこれを借り受け、後部座席に原告力(昭和四〇年一二月八日生まれで、当時満一四歳)を同乗させて本件道路を尾竹橋方面から前記下水道処理場方面に向けて時速五〇キロメートル以上の高速度で走行中、本件駐車場の手前約四〇メートルくらいの地点に差しかかつた際、本件右折進行してきた加害車を発見して危険を感じたものの、警音器を鳴らすことも思いつかず、狼狽の余り減速措置等につき適切な対応を採ることができず、急制動を行つたが後部座席に同原告を同乗させていたこともあつてバランスを失し、車体を左に預け、左側ステツプを路面に擦過させ、後輪を左に振りながら走行した挙句、前輪を加害車の左後部フエンダー付近に衝突させて方向を変え、更に前記ガードパイプに後輪を接触させて転倒した。なお、伊沢、原告力共にヘルメツトを着用していたが、転倒時に外れている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件事故は、伊沢の運転技量の未熟さ、安全運転の懈怠が大きく作用して発生したものであることを否定できないが、他方、見通しの悪い本件駐車場から左方の安全確認を怠つていきなり本件右折を行つた被告次郎の過失も一因となつているものといわざるを得ないから、同被告は、民法七〇九条に基づき本件事故により発生した損害につき賠償責任があるというべきである。

2  被告真行の責任

被告真行が加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたことは、同被告と原告らとの間に争いがないところ、同被告は、自賠法三条但書の免責を主張して、本件事故の責任を争う。

しかしながら、右1に認定のとおり、加害車の運転者である被告次郎に過失が認められる以上、その余について論ずるまでもなく、被告真行の免責の主張は失当であることが明らかであり、同被告は自賠法三条に基づき本件事故により生じた損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

3  被告吉原の責任

(一)  被告吉原は、昭和五四年七月すぎころまでは被害車を保有していたことを認めるものの、本件事故は右車両を既に正幸に譲渡した後のものであり、また、第三者の勝手な所為が介入して発生したものであるから、本件事故当時同被告は、運行供用者の地位を離脱していた旨主張する。

そこで検討するに、原本の存在成立ともに争いのない甲四号証、前掲乙五号証、証人中江昌也、同松永秀昭(後記措信しない部分を除く。)、同吉原正幸の各証言及び被告吉原延夫本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、

(1) 被告吉原は、昭和五二年一一月ころ、遊び目的で被害車を購入(購入代金三四万円中二九万円を同被告が、その余の五万円を弟の正幸が負担)し、自賠責保険の契約名義及び車検名義を同被告名義とした(なお、任意保険は、父親の保険料負担の下に同被告名義で契約された。)。その後、昭和五四年二月に同被告が普通免許を取得して普通乗用車を購入し、正幸も同年七月に運転免許を取得したことから、そのころ、同被告は被害車を一応正幸に譲り(正幸から金銭の交付はない。)、以後同人がこれを保管し、主として使用(遊び目的)するようになつた。右経緯に伴い、同被告はその後は時折遊びや通勤等に使用する程度であつた。また、自賠責保険は正幸名義で再契約されたが、車検名義、任意保険契約名義は従前と変るところはなかつた。

(2) ところで、正幸は、近所に住む友人である中江(当時一八、九歳)に時折被害車を貸していた(いずれも一日限り)ところ、昭和五六年六月中旬ころ、同人が通院に使用するため翌日返還する約束でこれを同人に貸し渡した。同人は、従前は借り受けた右車両を使用後直ちに返還していたのであるが、今回の場合、右借り受けた当日暴走族仲間の抗争事件に関与したことから警察に補導されるなどして、自ら被害車を運転して帰ることに不具合を感じたため、正幸には無断で中江の友人である渡辺(中江と同年齢とうかがわれる。)に一時保管を依頼し、同人は更に返還の時期、方法等あいまいなままに同人の中学の後輩である松永に中江からの依頼であるとして一時保管方を依頼した。同人は、被害車の所有者が何人であるか知らないまま右依頼に応じたものの、保管場所に困り、また、運転免許を有していなかつたため自ら使用することもなく、町屋の飯田百貨店駐車場に鍵を抜いて放置したままにしておいた。

(3) 松永は、中江が被害車を引き取りに来るものと思つていた(もつとも、松永は自己の連絡先を中江、渡辺に伝えていない。)が、その旨の連絡等がないまま昭和五五年七月二二日(本件事故の日)に至つた。同日、松永はしばらく放置したままの被害車の様子が気になり、これを見分したところ、エンジンが始動しなかつたことから修理工場に持ち込んで点検を了したのであるが、その帰途午後五時前ころ偶々顔見知りの伊沢及び原告力と出会い、伊沢から被害車を運転させて欲しいとせがまれた。松永は、中江から預り保管中のものであることや伊沢が中学生で運転資格を有していないことなどから一旦は断つたが、同人から「一回だけ」などと懇願されて断り切れず、これに応じた。伊沢が本件事故を発生させたのは右の直後のことである。

(4) 他方、正幸は、右貸与の二、三日後中江に対し被害車の返還を求めたところ、同人から前記保管依頼の経緯を告げられ、すぐ返す旨の返事を得た。しかし、中江自身松永との連絡が取れず、正幸は、更にその数日後に中江から被害車の所在が不明である旨の報告を受けた。そこで、正幸自身も中江の案内で二度ばかり渡辺、松永らの溜り場などを探し歩き、また、中江を介して松永の両親宅へ電話をするなどしたが、松永との連絡が取れず被害車の行方は知れなかつた。その後も、正幸は中江に被害車の探索を委ね、同人も頻繁にこれを捜し求めたが発見には至らなかつたため、遂に盗難届の提出を思い立ち、本件事故の数日前に自宅近くの交番(梅島派出所)に出向くなどした。もつとも、折悪しく警察官が不在であり、結局盗難届の提出は現実化しなかつた。

なお、正幸は、中江以外の者に被害車を貸与したことはほとんどなく、特に渡辺、松永らに貸したことは一度もない。また、中江も従前正幸に無断で被害車を第三者に転貸したことはなかつた。

(5) 正幸は、中江とは近所の幼友達同士であつたが、渡辺、松永、伊沢及び原告力とは面識がなかつた。他方、中江は、渡辺とは暴走族グループに関係する友人同士であり、松永とは渡辺の後輩ということから顔見知りではあつたが特に友人関係はなかつた(松永は中江を「中井」と誤解していたほどである。)。そして、伊沢及び原告力と交遊関係を有していたのは松永だけであつた。

以上の事実が認められ、証人松永秀昭の証言及び被告吉原延夫本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  ところで、自賠法三条にいう運行供用者とは自動車に対する運行支配ないし運行利益を有する者をいうと解されるが、これは要するに当該車両の運行に伴う危険について管理責任を負わせるのを相当とすべき立場にある者をいうと解すべきであり、すると、当該車両の所有者その他これを使用する権利を有する者であつても、自己の責に帰すべからざる事由により車両に対する事実上の支配を失つたような場合には、運行供用者性を否定されるのが法の趣旨に沿うものと解すべきである。

そこで、前記認定事実を踏まえ、右の見地から本件事故当時の被告吉原の運行供用者性の有無を検討してみるのに、まず、同被告が被害車を正幸へ譲渡したとしてこのことによる運行供用者性の脱落を主張する点については、同被告が正幸に被害車を譲つた形跡は一応うかがわれるものの、正幸から対価は支払われていないこと、車検名義は同被告名義のままであつたこと、正幸は遊びに使用する目的で譲り受けていること、右両名は同居の兄弟(正幸が弟)であり、同被告は事実上いつでもこれを使用できる状態にあつたこと、現に同被告は頻繁ではないがその後も被害車を遊びや通勤に使用することがあつたことなどの諸事情に徴すると、正幸に譲り渡したとはいつても、同被告が被害車に対する運行支配、運行利益を完全に失つたとみることにはなお疑問なしとしないのであり、結局、右の段階では、同被告はなお正幸と共に共同保有者の地位にとどまつていたものと解するのが相当というべきであり、同被告の右主張は理由がないものといわざるを得ない。

次いで、正幸が中江に被害車を貸与した後について検討を進めると、右貸与のみでは正幸はなお運行支配、運行利益を有していたというべきであるから、同人と共に運行供用者の地位にある同被告の運行供用者性を否定できないことはいうまでもない。しかし、中江が渡辺ないし松永に被害車の保管をゆだねた後については事態は全く異なるといわなければならない。すなわち、中江は、通院に使用する目的で一日に限り正幸から被害車を借り受けたにもかかわらず、前記認定の経緯で同人には無断でこれを同人と面識のない渡辺ないし松永に預け、保管場所、返還の時期・方法等についてあいまいなままにしたため結局本件事故発生まで約一か月前後被害車を所在不明の状態に陥入らせ、中江を介して有していた被害車に対する正幸の管理支配権を事実上喪失させたものである。そして、正幸は、中江の右無断保管委託後、同人に対し早期に被害車を返還するよう求め、同人をしてその捜索に当たらせるとともに、自らもこれを捜し求め、盗難届を提出すべく派出所に赴くなど、車両の持主として、最善とはいえないまでもそれなりに回収のための努力をしていることがうかがわれ、この間特に正幸を非難すべき事情は見い出し難いのである。また、本件全証拠を精査するも、右のほか正幸が中江への貸与の段階で同人の前記無責任な所為を予見し、ないし予見すべき特段の事情は認められない。すると、本件事故は、正幸が被害車に対する管理支配を事実上失つた後の事故であり、この間同人を非難すべき事情は見い出し難いものというべきであるから、本件事故当時同人は運行供用者の地位を喪失していたものと解するのが相当であり、そうであれば、被害車の管理につき特段非難されるべき事情のない被告吉原もまた本件事故につき運行供用者性を否定されるべきものといわなければならない。

よつて、原告らの被告吉原に対する自賠法三条に基づく本訴請求は理由がなく失当というべきである。

三  次いで、原告力の傷害の内容・程度と治療の経過について判断する。

前記認定事実に原本の存在成立共に争いのない甲五号証の一ないし四、六号証、証人松永秀昭の証言、鑑定嘱託の結果、原告二三子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、

1  原告力は、本件事故により開放性頭蓋骨骨折、脳汎性腫脹の傷害を負い、本件事故当日から昭和五五年八年一四日まで日本医科大学附属病院に入院し、開頭手術(折損した頭蓋骨片が脳に突き刺さつていたなど)を受けるなどして治療をしたが、一貫して昏睡状態で意識の改善がないまま退院(転医)した。

2  昭和五五年八月一四日、佼成病院に転送して治療を続けた結果、意識は徐々に回復を示したが、右半身麻痺、失語症著しく、加えて外傷性動脈瘤、内頸動脈狭窄症が発症したため手術を受け、同病院に同年一一月一四日まで入院し、手術後の経過も良好であつたことから、機能訓練のため転院した。

3  昭和五五年二月一四日、武蔵野療園に入院した原告力は、昭和五六年三月二七日まで入院し、この間言語・作業・理学の各療法を受けながら機能訓練を続けた。

4  そして、昭和五六年四月七日、再び佼成病院に入院し、頭蓋骨形成術、右下肢の麻痺につき歩行用装具を着用するためアキレス腱延長術を受け、更に機能訓練を続けたが、同年六月一四日、症状固定の診断を受けた。

5  原告力は、その後も身障者福祉センターで機能訓練を受け、一年遅れで中学校を卒業し、都立南葛飾高校定時制へ入学した。入学当初は、母親である原告二三子が付添つて通学したが、一年生の二学期からは、全く一人で電車を乗り継いで通学し、友達と遊んで帰つてくることもある。学業成績は極めて低く、落第点相当を取つていた。なお、メツキ工場などで就労も試みているが、賃金の対価として労務を提供できるようなものではなく、本人にとつては機能訓練、雇用主にとつては福祉事業的なものである。また、日常生活の遂行は身の回りのことは独力で可能であるが、後記のとおり知能低下がみられ、自発的な臨機の対応は困難である。

6  鑑定嘱託の結果によれば、原告力の後遺障害について、同原告には本件事故による頭蓋骨骨折及び脳挫傷のため左半球前頭葉の運動領や言語野を中心としたやや広範囲な障害及び右後頭・頭頂葉の限局性障害が認められ、そのために右半身の神経、運動機能障害(右半身不全麻痺、右手は常に手のひらを身体に向けるような状態で自力でわずかに動かすことができる程度であり、握力はゼロに近く、書字は不可能、右足は歩行装具なしでは体重を支えられず歩行不能であり、右装具をつけても跛行が認められるなど)、言語障害(中等度の構音障害及び失語症を認め、発音は不明瞭で自発語は少ないなど)、右半身の軽度の知覚障害、知能、記銘力障害(多少の記銘力障害―長い質問に対し前後の脈絡の理解力が不良であるが短い質問の理解に支障はない、過去に保持された記憶の障害程度は強くない)、知能低下などの症状が認められるとされ、右後遺障害の程度は総合評価して後遺障害等級三級三号に該当し、右障害の改善は見込まれず、終身にわたり就労は不可能であり、また、現在及び将来にわたり日常生活上第三者の付添介護を常に必要とする旨鑑定されている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  進んで、原告らの損害について判断する。

1  原告力の損害

(一)  積極損害 三六五万八二六〇円

(1) 治療費 三一一万一三六〇円

原告力は、治療費相当の損害として三一一万一三六〇円を主張するところ、前記認定の原告力の傷害の内容、程度、治療の経過及び弁論の全趣旨により、右主張どおりの損害を被つたものと認める。

(2) 付添費 二〇万円

原告力の入院につき、付添看護の要否については、昭和五五年一一月一四日から昭和五六年三月二七日までの武蔵野療園入院中について付添不要との医師の判断がある(前掲甲五号証の三)ほかは、医師の判断がいかがであつたかを明示する資料はない。しかし、前記認定の原告力の症状、治療経過に徴し、およそ付添看護を要しなかつたと断ずるのも経験則に沿わないところである。そこで、右認定事実及び弁論の全趣旨を総合し、日本医科大学病院、佼成病院(二回)入院期間中の一〇〇日間につき、親族付添を要したものと認め、一日二〇〇〇円として合計二〇万円の付添費相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。

(3) 入院雑費 一九万〇二〇〇円

前記認定の入院期間三一七日につき、後記医師、看護婦への謝礼も含め一日六〇〇円として合計一九万〇二〇〇円の入院雑費相当の損害を認める。

(4) 通信費 〇円

通信費相当の損害三八万三八四〇円の主張を認めるに足りる証拠はない。

(5) 医師・看護婦謝礼 〇円

前記入院雑費として認定してあり、別途これを認めることは相当ではない。また特に別途これを認めるべき証拠の提出もない。

(6) 装身具代 一五万六七〇〇円

前記認定の後遺障害及び弁論の全趣旨により、装身具代相当の損害は、原告力主張どおり一五万六七〇〇円と認める。

(二)  慰藉料 一二〇〇万円

前記認定の本件事故の態様、原告力の傷害の内容・程度、治療の経過、後遺障害の内容、程度その他本件審理の経緯及び審理に現れた一切の事情に徹し、本件事故により原告力が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一二〇〇万円と認めるのが相当である。

(三)  逸失利益 五五六八万七五二六円

前記認定の原告力の後遺障害の内容・程度に照らすと、同原告は将来にわたり労働能力を完全に喪失したものと認めるのが実態に沿い相当というべきである。同原告は本件事故後就労を試みていることがうかがわれるが、これは機能訓練の一環とみるべきものであること前記説示のとおりであり、通常観念される労働能力を認めることの根拠とはなり得ない。

そこで、症状固定時の同原告の逸失利益の現価を算定すると、同原告主張どおりの年収(三三七万九二〇〇円)、就労可能期間(一八歳から六七歳までの四九年間)、中間利息控除方式(ライプニツツ方式)を採用することを相当と認め、次式のとおり五五六八万七五二六円(一円未満切捨)となる。

337万9200円×(18,3389-1,8594)≒5568万7526円

(四)  付添費用 一三四四万五一四〇円

原告力の後遺障害に関する前記認定事実に基づき検討するに、同原告は日常生活上定型的に繰り返される所為についてはかなりの面にわたり独力の処理能力を有することがうかがわれるのであるが、他方、右手、右下肢の本来的機能の喪失、記銘力、知能の低下により身体上の行動能力はもちろん、物事に対処するための理解・判断能力にも相当な減退がみられ、このため日常生活の逐一に著しい不自由を伴い、時に通常人には予測し難い危険が様々な態様で付きまとうことなども容易に推認されるところであつて、以上を総合すると、同原告が一般的な日常生活を営んでいくには適宜の補助ないし介添えを必要とするとみるのが相当というべきである。

すると、右に要する費用相当額は、本件事故と相当因果関係のある損害というべきであり、同原告の後遺障害の内容・程度、症状改善の余地を認めることは困難であるものの、日常生活上の行動についてはかなりの程度いわゆる学習の効果を期待し得ること、その他諸般の事情を考慮し、症状固定の一五歳から同原告の主張する六七歳までの五二年間につき一日二〇〇〇円の割合による額と認めるのが相当であるから、ライプニツツ方式によりその現価を算定すると、次式のとおり一三四四万五一四〇円となる。

(2000円×365日)×18.4180=1344万5140円

(五)  過失相殺 四二三九万五四六三円

本件事故が被告次郎と伊沢の過失の競合により発生したものであることは前記認定のとおりである。そして、前記認定事実に基づき伊沢の過失の内容について再度考察すれば、同人は無免許であり所定の運転教育を受けていない上、運転経験もほとんどなく、年齢(一五歳)及び同人の平素の性行をも合わせ考えると、四囲の道路、交通の状況に意を払いながら所定の交通法規に従つた安全運転の期待という点では誠におぼつかないものであり、運転すること自体が極めて危険なものであつたというべきところ、果たして、制限速度を大幅に超過(時速三〇キロメートルのところを五〇キロメートル以上)した上、加害車の進入を発見したものの、かかる事態に適切に対応し得る余裕を持ち得なかつたため、咄嗟に採るべき措置に困惑し、警音器を鳴らすでもなく、減速措置、ハンドル操作(後部同乗者がある下での適切な操作技量はない。)等を誤り、本件事故に至つたというものであり、その過失の程度は極めて重く、同人が本件事故発生につき負うべき責任割合は少なくとも六割を下るものではないといわなければならない。

右のとおり、伊沢の運転は、それ自体が本件のごとき思わぬ大事故の発生を包含する危険な行為であつたというべきものである。すると、同人のいわば子分のような立場で常に行動を共にし、形式的にも実質的にも同人に運転資格ないし適格のないことを承知していたと解される原告力は、当然に伊沢の右運転行為の危険性を知り又は知り得べきであつたにもかかわらず、軽率にも、一度事故が発生すれば生命、身体を損う危険の極めて高い自動二輪車の後部座席に同乗して走行中本件事故に遭遇したというのであつて、自己の被つた損害発生に寄与した同原告の過失は重く、運転者である伊沢の前記過失割合に準じ、五割の過失相殺をするのが損害の衡平な分担の理念に合致するものというべきである。

そこで、右過失相殺により原告力の損害額を改めて算定すれば四二三九万五四六三円(一円未満切捨て)となる。

(六)  損害の填補 二五八二万七一二〇円

原告力が自賠責保険から二五八二万七一二〇円の支払を受け、これを前記損害に充当し、右の限度で損害が填補されたことは当事者間に争いがない。すると、同原告の残存損害額は一六五六万八三四三円となる。

(七)  弁護士費用

弁論の全趣旨により、原告力が本訴の提起及び追行を同原告訴訟代理人に委任し、相当の弁護士費用の支払を約束したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係のある右費用相当の損害額は、本件事案の難易度、訴訟追行の経緯その他諸般の事情を考慮し、一六〇万円と認めるのが相当である。

2  原告偉邦、同二三子の損害

原告偉邦、同二三子は、本件事故により被つた損害として慰藉料各自二〇〇万円の請求をするが、前記認定の原告力の後遺障害の程度に徴すると、右は死亡にも比肩すべきものとはいい難く、その他本件記録に現れた一切の事情をしんしやくしても同原告の両親たる原告偉邦、同二三子に固有の慰藉料を認めるべき理由は見い出し難く、同原告らの右請求は失当といわざるを得ない。

したがつて、右請求を前提とする同原告らの弁護士費用相当の損害賠償請求もまた理由がなく、失当である。

五  よつて、原告力の本訴請求は、被告次郎及び同真行に対し一八一六万八三四三円及びこれに対する本訴状送達の日の後であることが本件記録により明らかな昭和五七年三月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、同原告のその余の請求及び原告偉邦、同二三子の各請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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